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女ひとり!2年半のニッポン放浪旅への準備 [原付ひとり旅]
所持金5万円!35日間の原付で西日本ぐるっ旅 から1年が経過しました
あの旅以来、原付旅にハマってしまい、バイトの休みのたんびにキャンプ道具搭載して原付チョロロん旅を繰り返す始末・・・・・
『やべえ・・・原付おもしれえ・・・・』
と、いうわけで、決めました
ワタクシ、いくみ!
原付でニッポン徘徊すっぞーーー(笑)
出発は2010年7月中旬。
(今週末か来週の天気次第で出発します)
これより、にっぽん徘徊旅のブログはアメブロで更新します、
もしよければ、のぞいてみてくださいね
ブログはこちら
アメブロ【iQmiのチョロロん日々】
⇒⇒ http://ameblo.jp/ikumiz/
アメブロルーム⇒⇒ http://profile.ameba.jp/ikumiz/
さてと、24才。これからどういった人生を歩んでくのか。田舎っぺガールの波乱万丈ニッポン放浪旅のはじまりはじまり~
いくみ
【人生を旅する】 [原付ひとり旅]
あと数ヶ月で、約2年半にも渡る長期旅【にっぽん放浪旅】に出発する私、さかいいくみ(♀・24歳)。
約2年半という期間と決めてたのは、次の免許更新があるからという変ちくりんな理由からなんだけど。
私と共に旅するのは、
もちろん!私の相方、50cc原付「ネルソンさん(♂)」
所持金は、10~15万で出発するという、ビンボー旅となる。
移動中の
食事は、主に自炊。
宿泊は、主にキャンプ。あとは安宿。
しかし私の旅スタイルに欠かせないのは、ありとあらゆる地での
《農家滞在》
だ。
以前にも説明したが、
簡単に言うと、ある組織(WWOOF)に登録している農家(日本全国に約400ヵ所。今現在も登録する農家は後を絶たない)に、
WWOOFに登録している私が働き手として滞在する。
私の労力と、食事&寝床を交換する仕組みで、金銭のやりとりは一切無い。
というもの。
農家がすべてではなく、宿や工場、自然学校、施設などがもあるが登録している大半が有機農家である。
私が望むすべてがそこにある。
彼らと共に生活し、共に働く。
そこの環境に身を置き、生活する。
計り知れないものが得られる。
そこの環境から、空気から、景色から、人から、食生活すべてから、
日本から学ぶ日本のこと。日本人の知恵。日本人の生活。
学校では勉強しない、お金には変えられない、経験からしか学べないものがそこにはある。
なぜ旅に出るのかと人は聞く。
「旅に出たいから出るの」としか言いようがない。
やりたいからやるんだってしか言えない。
ずっとずっと私は、将来は、自分で自分の働く場所をつくる。としか考えたことがない。
自営業になるんかな、面白いアトリエをつくりあげたいんだなあ、
(何をやりたいかはいろいろあって、マイアトリエプランを常にノートに書き込んで練っているけど、まだ秘密!)
だから、毎日が勉強なの。
たくさんのことを学び、自分のものにする。
私が経験した約20のバイトのほとんどが、手渡しのお給料っちゃけど、
袋に入ったお金を頂く時、必ずお礼を言う(←当たりまえだか)
勉強させて下さって「どうもありがとうございます」と。
時給がどうのこうので働いたことはなく、
あらゆる職種を経験したくて、あらゆる環境に自分を置いてみたくて、短期希望で働く日々。
働く理由は、お金じゃなく、私にとっては勉強だった。
各職種から学べるすべては、私にとって面白くってしかたのないもの。
勉強させてもらってるのに、その上お金も頂けるなんて、なんて有り難いの!と思って働いている。
だから、もの凄く、働くのが楽しい。
時には、失敗しまくったり、怒られたりはもちろん、辛いことや、悲しいこともあるけど、
すべてが、
「試されてるんだ!」と解釈を変えて、
私がどうすればよかったのか、とか考えてしまう。
「よし!次こそは!」と思う。
もっともっと成長したい!と思う。
旅に出れば、更に環境がガラリと変わり、もっともっと面白さが増す。
何事にも感謝の気持ちは忘れない。
私は、自分の人生を楽しむんだ。自分の人生の成功者となるため。
自分が楽しんでやっていることで、たくさんの人に、何かしらのきっかけを与えれたら、こんなにも嬉しいことはないなあ…!これって、幸せなことじゃないかなあ!て思っている。
周りの人たちから、環境から、私は自分を成長させてもらっている。
だからって私に出来ることは、些細なことかもしれないけど、何かを与えよう与えようとしないで、自分らしく生きていこうと決めている。
そこから、小さな事から、何気なく放った言葉から、きっとなにか生まれてもおかしくはない、
今日も一日、楽しむぞー!
そんなことを考えてた午後。
カフェでまったりしているいくみでした。
約2年半という期間と決めてたのは、次の免許更新があるからという変ちくりんな理由からなんだけど。
私と共に旅するのは、
もちろん!私の相方、50cc原付「ネルソンさん(♂)」
所持金は、10~15万で出発するという、ビンボー旅となる。
移動中の
食事は、主に自炊。
宿泊は、主にキャンプ。あとは安宿。
しかし私の旅スタイルに欠かせないのは、ありとあらゆる地での
《農家滞在》
だ。
以前にも説明したが、
簡単に言うと、ある組織(WWOOF)に登録している農家(日本全国に約400ヵ所。今現在も登録する農家は後を絶たない)に、
WWOOFに登録している私が働き手として滞在する。
私の労力と、食事&寝床を交換する仕組みで、金銭のやりとりは一切無い。
というもの。
農家がすべてではなく、宿や工場、自然学校、施設などがもあるが登録している大半が有機農家である。
私が望むすべてがそこにある。
彼らと共に生活し、共に働く。
そこの環境に身を置き、生活する。
計り知れないものが得られる。
そこの環境から、空気から、景色から、人から、食生活すべてから、
日本から学ぶ日本のこと。日本人の知恵。日本人の生活。
学校では勉強しない、お金には変えられない、経験からしか学べないものがそこにはある。
なぜ旅に出るのかと人は聞く。
「旅に出たいから出るの」としか言いようがない。
やりたいからやるんだってしか言えない。
ずっとずっと私は、将来は、自分で自分の働く場所をつくる。としか考えたことがない。
自営業になるんかな、面白いアトリエをつくりあげたいんだなあ、
(何をやりたいかはいろいろあって、マイアトリエプランを常にノートに書き込んで練っているけど、まだ秘密!)
だから、毎日が勉強なの。
たくさんのことを学び、自分のものにする。
私が経験した約20のバイトのほとんどが、手渡しのお給料っちゃけど、
袋に入ったお金を頂く時、必ずお礼を言う(←当たりまえだか)
勉強させて下さって「どうもありがとうございます」と。
時給がどうのこうので働いたことはなく、
あらゆる職種を経験したくて、あらゆる環境に自分を置いてみたくて、短期希望で働く日々。
働く理由は、お金じゃなく、私にとっては勉強だった。
各職種から学べるすべては、私にとって面白くってしかたのないもの。
勉強させてもらってるのに、その上お金も頂けるなんて、なんて有り難いの!と思って働いている。
だから、もの凄く、働くのが楽しい。
時には、失敗しまくったり、怒られたりはもちろん、辛いことや、悲しいこともあるけど、
すべてが、
「試されてるんだ!」と解釈を変えて、
私がどうすればよかったのか、とか考えてしまう。
「よし!次こそは!」と思う。
もっともっと成長したい!と思う。
旅に出れば、更に環境がガラリと変わり、もっともっと面白さが増す。
何事にも感謝の気持ちは忘れない。
私は、自分の人生を楽しむんだ。自分の人生の成功者となるため。
自分が楽しんでやっていることで、たくさんの人に、何かしらのきっかけを与えれたら、こんなにも嬉しいことはないなあ…!これって、幸せなことじゃないかなあ!て思っている。
周りの人たちから、環境から、私は自分を成長させてもらっている。
だからって私に出来ることは、些細なことかもしれないけど、何かを与えよう与えようとしないで、自分らしく生きていこうと決めている。
そこから、小さな事から、何気なく放った言葉から、きっとなにか生まれてもおかしくはない、
今日も一日、楽しむぞー!
そんなことを考えてた午後。
カフェでまったりしているいくみでした。
セレブランチ [自己満アート道]
『……ねえ、いくみちゃんさ、休憩ん時、何しよっと?電子辞書やら出して
ねえ、……ペンチ持ってなかった?(←怪訝な目)』
昼間のお菓子屋さんバイトは、人数が少ないため、一人ずつ交代して1時間休憩に入ります^^
テレビ見るもよーし、寝るもよーし。
ベンチもコタツもファンヒーターもあるけん、ひとりでぬくぬくまったーりできる♪
私のとある日のお昼ごはんは、
『ベビーチーズ』
めっちゃ好きっちゃんチーズ!!!!!!!!!!
とくにこのブラックペッパー!!!!サイコー文句なし
とろけるチーズないとき、スライスしてサンドイッチに入れたりもするよー
ほぼ毎日持ってくデザート
と
『魚ロッケ』
でたー
唐津名物「魚ロッケ(ぎょろっけ)」
見た目はうすっぺらいコロッケ
でも、中身は練・り・も・の笑
唐津の居酒屋には必ずと言っていいほどおいてある一品で、
炭火で焼いてマヨネーズと食べるのが主流です。
あとは、お弁当によくいれています^^
基本はカレー味
以上の2品でした。
え
いや、この魚ロッケ、2枚入りっちゃけど、意外とおなかに溜まるとって!!!!!!
魚ロッケなめんなよ笑
魚ロッケとベビーチーズ食べても、休憩時間はまだ
たっぷ~~~~り
素敵
『そんなに急いでごはん、いや「ごはん」じゃないね、むしろ「酒のつまみ」だ
つまみ食べた後、何してんのよあんた』
な
ラジオペンチ何を曲げてんだこの女
「針金です。毎日バックの中に入れて持ってきていますがなにか。」
この日、休憩しとる時に、いきなり人が入ってきて、
私は、電子辞書でピコピコしながら調べものしつつ…
右手には、ラジオペンチ…
左手には、針金……
机の上には、おっぴろげたノートたちやノリや、ホッチキスや……
だって休憩の1時間って、貴重やん!もったいないて、テレビの時間にするとか!
5分10分でごはん食べて、あとの50分、すきな音楽聴きながら、自分のやりたいこと、やらないかんことやるんだー
好きでバイトかけもちしとるっちゃけん、身体は疲れとるけん、はよ寝たいけん、休憩時間や、朝起きてからの時間はかなり貴重なんよ!
《おまけ》
ちなみに持ち歩いている針金は長さ約140m
次回へつづく…
ねえ、……ペンチ持ってなかった?(←怪訝な目)』
昼間のお菓子屋さんバイトは、人数が少ないため、一人ずつ交代して1時間休憩に入ります^^
テレビ見るもよーし、寝るもよーし。
ベンチもコタツもファンヒーターもあるけん、ひとりでぬくぬくまったーりできる♪
私のとある日のお昼ごはんは、
『ベビーチーズ』
めっちゃ好きっちゃんチーズ!!!!!!!!!!
とくにこのブラックペッパー!!!!サイコー文句なし
とろけるチーズないとき、スライスしてサンドイッチに入れたりもするよー
ほぼ毎日持ってくデザート
と
『魚ロッケ』
でたー
唐津名物「魚ロッケ(ぎょろっけ)」
見た目はうすっぺらいコロッケ
でも、中身は練・り・も・の笑
唐津の居酒屋には必ずと言っていいほどおいてある一品で、
炭火で焼いてマヨネーズと食べるのが主流です。
あとは、お弁当によくいれています^^
基本はカレー味
以上の2品でした。
え
いや、この魚ロッケ、2枚入りっちゃけど、意外とおなかに溜まるとって!!!!!!
魚ロッケなめんなよ笑
魚ロッケとベビーチーズ食べても、休憩時間はまだ
たっぷ~~~~り
素敵
『そんなに急いでごはん、いや「ごはん」じゃないね、むしろ「酒のつまみ」だ
つまみ食べた後、何してんのよあんた』
な
ラジオペンチ何を曲げてんだこの女
「針金です。毎日バックの中に入れて持ってきていますがなにか。」
この日、休憩しとる時に、いきなり人が入ってきて、
私は、電子辞書でピコピコしながら調べものしつつ…
右手には、ラジオペンチ…
左手には、針金……
机の上には、おっぴろげたノートたちやノリや、ホッチキスや……
だって休憩の1時間って、貴重やん!もったいないて、テレビの時間にするとか!
5分10分でごはん食べて、あとの50分、すきな音楽聴きながら、自分のやりたいこと、やらないかんことやるんだー
好きでバイトかけもちしとるっちゃけん、身体は疲れとるけん、はよ寝たいけん、休憩時間や、朝起きてからの時間はかなり貴重なんよ!
《おまけ》
ちなみに持ち歩いている針金は長さ約140m
次回へつづく…
『おおきなクルマ』 [ニュージーランド]
(※過去の出来事を書いています)
英語圏である異国の地で生活し出して早8ヶ月
私は、60近くになる男の人(コリンさん)ひとりでやってる山のてっぺんの農場に、住み込みで働いていた。
羊も牛も鶏も、数えることが困難なほど、広大な敷地内にうじゃーーーーーーーーーーーていた
入り組んだ地形になってて、山のふもとは海で、ビーチが4つあるところだった。
ある日、
コリンさんは山をおりて町へ出かけていて、私は家の中でマターリしてた時のこと、
来客があった。
ドアをダンダンダン!!とたたかれ、
「なんですか?」
と出て行くと、
年配の女性がいて、早口で
『あなたここの人ここらへん全部あなたのとこの山でしょ
ここから下のビーチに行ったところの駐車場に、
大きな車が横倒しになってたわ
ちょうど山登って来る時に見えたの
あなた、今すぐ下に見に行ったほうがいいわ』
と言うではないか
いやぁぁぁぁぁぁなになに何事よーーーー
車が
えぇぇぇ中に乗ってるはずの人はどこよー
まさか中に閉じ込められたまんま
はスリップ?単身事故?
どうしよどうしよどうしよもういやああああああああああ
私は、本当にパニックになってた。
だって、車の免許とか持ってもおらんし、車を運転したこともないし、
そのビーチに行くまで、歩いても30分以上はかかるんよ
でも知ってしまった以上その事態を放っておくわけにはいかんやんかーーー
でも待って行ったところで、私どうすればいいと
中の人が怪我しとったりさしたら、どうすればいいとよー
でもとにかく一刻も早く行かんば、どうしようもできん
………と、いうことで、ワタクシ、いくみは、
いっつもコリンさんの運転するバギーの後ろに乗ってたので、見よう見真似で、四輪バイクを運転することに挑戦したのです
だいたい当時は【ギア】すら何なのかも知らなかった私。
簡単にエンジンがかかり、右手の親指でボタンを押すとジョジョに進んでった。
ちんたらちんたらくねくねくねくね禿げ山を降りていくが、一向に車は見えん
ようやくビーチが見下ろせるとこまで走ってきたが、駐車場に車は見当たらんかったんよ
「おかしいなあここのビーチなはずっちゃけどなあもういっこ山越えてった先のビーチかいなあ…そこまで運転してくのもう嫌よ」
「…とりあえず下りてって、山越えて次のビーチに行ってみるしかない」
と思って、下って行き、駐車場を通りすぎようとしたその時。
ある光景が目に入ってきた。
バギーを砂利道の脇に止めた。
駐車場のほうを見た。
いくみの思考は一時停止。
私は、知った。
気づくまで、数秒か、数十秒か、どんくらいかかったかわからん。
でも、分かってしまった。
自分の英語力の低さに。
駐車場には、年配の女性が言う、横たわっているものがあった。
彼女は、嘘をついてはいない。
ただ、
くそでかい牛が横たわっていた
どうやら生きてはいるみたいで、泥沼にはまり転んで、お腹まわりが大きすぎて起き上がりきれないままのようだ。
子どもがお腹にいるのか!?
どのくらいの時間、横たわってもがき続けていたか分からないが、女性が知らせてくれたからは30分はたっていた。
蹴られやしないかとおそるおそる近づいていくと、
敵が来たとびっくりした反応でもがきもがきもがき、
そしてうまいこと立ち上がって、駆け出して行った
なんだよ、心配かけさせやがって。
なんだよ、私、ショックじゃんかよう。
8ヶ月だよ8ヶ月。
なのにさ、
【car】と【cow】を聞き間違えるなんて。
英語圏である異国の地で生活し出して早8ヶ月
私は、60近くになる男の人(コリンさん)ひとりでやってる山のてっぺんの農場に、住み込みで働いていた。
羊も牛も鶏も、数えることが困難なほど、広大な敷地内にうじゃーーーーーーーーーーーていた
入り組んだ地形になってて、山のふもとは海で、ビーチが4つあるところだった。
ある日、
コリンさんは山をおりて町へ出かけていて、私は家の中でマターリしてた時のこと、
来客があった。
ドアをダンダンダン!!とたたかれ、
「なんですか?」
と出て行くと、
年配の女性がいて、早口で
『あなたここの人ここらへん全部あなたのとこの山でしょ
ここから下のビーチに行ったところの駐車場に、
大きな車が横倒しになってたわ
ちょうど山登って来る時に見えたの
あなた、今すぐ下に見に行ったほうがいいわ』
と言うではないか
いやぁぁぁぁぁぁなになに何事よーーーー
車が
えぇぇぇ中に乗ってるはずの人はどこよー
まさか中に閉じ込められたまんま
はスリップ?単身事故?
どうしよどうしよどうしよもういやああああああああああ
私は、本当にパニックになってた。
だって、車の免許とか持ってもおらんし、車を運転したこともないし、
そのビーチに行くまで、歩いても30分以上はかかるんよ
でも知ってしまった以上その事態を放っておくわけにはいかんやんかーーー
でも待って行ったところで、私どうすればいいと
中の人が怪我しとったりさしたら、どうすればいいとよー
でもとにかく一刻も早く行かんば、どうしようもできん
………と、いうことで、ワタクシ、いくみは、
いっつもコリンさんの運転するバギーの後ろに乗ってたので、見よう見真似で、四輪バイクを運転することに挑戦したのです
だいたい当時は【ギア】すら何なのかも知らなかった私。
簡単にエンジンがかかり、右手の親指でボタンを押すとジョジョに進んでった。
ちんたらちんたらくねくねくねくね禿げ山を降りていくが、一向に車は見えん
ようやくビーチが見下ろせるとこまで走ってきたが、駐車場に車は見当たらんかったんよ
「おかしいなあここのビーチなはずっちゃけどなあもういっこ山越えてった先のビーチかいなあ…そこまで運転してくのもう嫌よ」
「…とりあえず下りてって、山越えて次のビーチに行ってみるしかない」
と思って、下って行き、駐車場を通りすぎようとしたその時。
ある光景が目に入ってきた。
バギーを砂利道の脇に止めた。
駐車場のほうを見た。
いくみの思考は一時停止。
私は、知った。
気づくまで、数秒か、数十秒か、どんくらいかかったかわからん。
でも、分かってしまった。
自分の英語力の低さに。
駐車場には、年配の女性が言う、横たわっているものがあった。
彼女は、嘘をついてはいない。
ただ、
くそでかい牛が横たわっていた
どうやら生きてはいるみたいで、泥沼にはまり転んで、お腹まわりが大きすぎて起き上がりきれないままのようだ。
子どもがお腹にいるのか!?
どのくらいの時間、横たわってもがき続けていたか分からないが、女性が知らせてくれたからは30分はたっていた。
蹴られやしないかとおそるおそる近づいていくと、
敵が来たとびっくりした反応でもがきもがきもがき、
そしてうまいこと立ち上がって、駆け出して行った
なんだよ、心配かけさせやがって。
なんだよ、私、ショックじゃんかよう。
8ヶ月だよ8ヶ月。
なのにさ、
【car】と【cow】を聞き間違えるなんて。
銀髪のAndy、ホームステイ の巻 [旅人@KARATSU]
[※過去の出来事を書いています]
(いくみ留守中)
昼すぎ自宅に1本の電話があったらしい。
『こちら○○タクシーですけど、あの~、お宅に外人のお客さんを連れて行きたいんですが、詳しい家の場所教えていただけますでしょうか??』
タクシー運転手さんが言うには、その外人さんはあきらかに私の名前と住所(番地無し)と電話番号が書かれた紙を見せてきたらしい
数分後、
玄関先で待ってた母の前にやってきたのは【銀髪の外国人】
お母さんはかなりパニックになったらしく、
でもなんとか"who are you?"ては言えたらしい
『エンディ』
お母さんから電話かかってきて早口でまくしたててきた
『いくみあんた大変よエンディが今ウチにおるたった今タクシーで来らしたてかエンディて誰やなんやどうなっとるとや説明せんね』
…は?え?なんて?エンディ……エンディ……エンディ……エンディぁぁぁああああああ
唐津にうちに
たまげた…こらーたまげた。。。。。
【銀髪の外国人】
そう彼は…私が1年以上も前に、マレーシアぷらり旅のバスの中で出会ったスイス人だったのだー
(この銀髪の外国人と出会ったマレーシア旅ブログはこちら→http://iku-chororon.blog.so-net.ne.jp/2009-10-01)
犬が5匹も室内に居るウチにあげさせることができるはずもなく、
お母さんに同じ町内にあるばあちゃんちに連れてってもらい、
ああ飛んで帰ってきましたとも
ばあちゃんちで
「え~~~~~んぢ~~~~~ぃ」
『イきゅ~~~ミ~~~~』(※外人さんはカキクケコ発音難しい人もいるらしく、IkumiがIQmiになったりする)
と感動的な再会を果たし、
約2年前、同じようなパターンでばあちゃんちに居候していた金髪のトラさん(http://iku-chororon.blog.so-net.ne.jp/2009-09-29)同様、
エンディはばあちゃんちで日本の生活を体験してもらうことに笑
いきなり休暇とって日本までぶっ飛んで来た銀髪エンディ。
じいちゃん・ばあちゃんちでの1週間ショートホームステイが終わり、
"今度は旅先でうまい具合に再会しよう"と約束し、彼はスイスへと帰って行った
日本を旅し、
もしかしてIkumiに会えるかもしれんなぁ~感覚で、帰国前にいきあたりばったりでこんな田舎町まで来たエンディ。
空港まで見送り行ったけど、空港行きの電車の中でエンディが涙をぬぐってて、驚いた。
『…Ikumiがいなかったら福岡観光して帰ってたよ!
でも会えてほんとに驚いてる。おじいちゃんおばあちゃんを紹介してくれて、二人は何日も泊めてくれた。
おじいちゃんは車で唐津を案内してくれたり食事に連れてってくれた。
いきなり現れた日本人じゃない僕の身の回りの世話を当たり前のようにしてくれたおばあちゃんに、
二人にありがとうて上手く伝えれなくて悔やんでいる。
日本語が少しでもわかれば。
頑張って英語の単語だけで必死にしゃべりかけてくれた。
身振り手振りで、僕を常に笑顔でもてなしてくれた。
まさかこんな展開になるなんて本当に期待してなかったから、すごく嬉しかったし、
言葉が通じない状況でここまで楽しく過ごせるなんて思ってもいなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんの優しさに感謝しているよ…』
(みたいな感じに言ってた ※通訳いくみ)
エンディとじいちゃんとばあちゃん
じいちゃんの指がGOOD になってるとこがまたGOODやねえへへへ♪
お別れ前日の夜、
じいちゃんが、ばあちゃんにしみじみと言ったのを私はダンボの耳で聞いてた。
『母さん、明日からまた二人の生活になるなあ…』
…じいちゃん
[2007年10月]
(いくみ留守中)
昼すぎ自宅に1本の電話があったらしい。
『こちら○○タクシーですけど、あの~、お宅に外人のお客さんを連れて行きたいんですが、詳しい家の場所教えていただけますでしょうか??』
タクシー運転手さんが言うには、その外人さんはあきらかに私の名前と住所(番地無し)と電話番号が書かれた紙を見せてきたらしい
数分後、
玄関先で待ってた母の前にやってきたのは【銀髪の外国人】
お母さんはかなりパニックになったらしく、
でもなんとか"who are you?"ては言えたらしい
『エンディ』
お母さんから電話かかってきて早口でまくしたててきた
『いくみあんた大変よエンディが今ウチにおるたった今タクシーで来らしたてかエンディて誰やなんやどうなっとるとや説明せんね』
…は?え?なんて?エンディ……エンディ……エンディ……エンディぁぁぁああああああ
唐津にうちに
たまげた…こらーたまげた。。。。。
【銀髪の外国人】
そう彼は…私が1年以上も前に、マレーシアぷらり旅のバスの中で出会ったスイス人だったのだー
(この銀髪の外国人と出会ったマレーシア旅ブログはこちら→http://iku-chororon.blog.so-net.ne.jp/2009-10-01)
犬が5匹も室内に居るウチにあげさせることができるはずもなく、
お母さんに同じ町内にあるばあちゃんちに連れてってもらい、
ああ飛んで帰ってきましたとも
ばあちゃんちで
「え~~~~~んぢ~~~~~ぃ」
『イきゅ~~~ミ~~~~』(※外人さんはカキクケコ発音難しい人もいるらしく、IkumiがIQmiになったりする)
と感動的な再会を果たし、
約2年前、同じようなパターンでばあちゃんちに居候していた金髪のトラさん(http://iku-chororon.blog.so-net.ne.jp/2009-09-29)同様、
エンディはばあちゃんちで日本の生活を体験してもらうことに笑
いきなり休暇とって日本までぶっ飛んで来た銀髪エンディ。
じいちゃん・ばあちゃんちでの1週間ショートホームステイが終わり、
"今度は旅先でうまい具合に再会しよう"と約束し、彼はスイスへと帰って行った
日本を旅し、
もしかしてIkumiに会えるかもしれんなぁ~感覚で、帰国前にいきあたりばったりでこんな田舎町まで来たエンディ。
空港まで見送り行ったけど、空港行きの電車の中でエンディが涙をぬぐってて、驚いた。
『…Ikumiがいなかったら福岡観光して帰ってたよ!
でも会えてほんとに驚いてる。おじいちゃんおばあちゃんを紹介してくれて、二人は何日も泊めてくれた。
おじいちゃんは車で唐津を案内してくれたり食事に連れてってくれた。
いきなり現れた日本人じゃない僕の身の回りの世話を当たり前のようにしてくれたおばあちゃんに、
二人にありがとうて上手く伝えれなくて悔やんでいる。
日本語が少しでもわかれば。
頑張って英語の単語だけで必死にしゃべりかけてくれた。
身振り手振りで、僕を常に笑顔でもてなしてくれた。
まさかこんな展開になるなんて本当に期待してなかったから、すごく嬉しかったし、
言葉が通じない状況でここまで楽しく過ごせるなんて思ってもいなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんの優しさに感謝しているよ…』
(みたいな感じに言ってた ※通訳いくみ)
エンディとじいちゃんとばあちゃん
じいちゃんの指がGOOD になってるとこがまたGOODやねえへへへ♪
お別れ前日の夜、
じいちゃんが、ばあちゃんにしみじみと言ったのを私はダンボの耳で聞いてた。
『母さん、明日からまた二人の生活になるなあ…』
…じいちゃん
[2007年10月]
『タダごはん旅』 [マレーシア一人旅]
[※過去の出来事を書いています]
[マレーシア特集]がテレビであっていました
「いいね」
翌日、
航空券の値段を知るため電話をしたのに、なぜかそのまますぐチケットGET
その翌週には旅立っていました。笑
YES思いたったが吉日とはこういうことを言うのだ笑
バックパックに超少ない荷物を詰め込みそれ飛んでけ~っ
と、いうことで、
宿もなにも決めず、飛行機チケットとパスポートと少しのお金とバックパックでやって来ました、
マレーシアの首都・クアラルンプール
くあ~っビルだだめだ拒否反応が(←田舎娘)
夜が近づく前に宿探し開始
ダブルベッド1泊750円のバックパッカーズ
とりあえず良しとし、そこを拠点とし今後の作戦を練る(ちなみに750円は高いです)
世界中からの旅行者が集まっててさっそく情報交換
そこで仲良くなった宿オーナーと意気投合しご飯食べ行った
ご馳走してくれた初のマレーシア料理…だけど、ううむノーコメント…(写真撮り忘れた;)
翌日、
長距離バスセンターを探すが見あたらない…長いことうろうろしよったら
『どこいきたいのー?』と女の人。
シカトだ。ふんっ。騙されるもんかっ
『待って待って~』としつこい女の人。
数分後……なぜか意気投合しオトモダチになり(←なぜそうなるのw)
バスセンターまで連れて行ってもらい、
バスの時間までまだまだあったので、彼女の家に行き、
家族を紹介され(皆英語しゃべれた)
皆でランチ★おおっラッキー
スープも魚も美味い
ひょんなところからマレーシアの家庭料理を味わうことができました笑
悪い&危ない人ばっかりじゃあないんだ、と再度思った日でした。
何事も無く、バスセンターまで送ってもらい、いざマレーシア横断
3時間後バス故障さいならぽんこつバス
代わりのバス待ち1時間 ………
予定より3時間遅れで目的地の村(昨晩決めた)に着くことになってしまった、しかも夜中の11時
宿ももちろんまだ決めてない
夜道一人で宿探しできるか
いやいや危ない確立高いいくみピーーーンチ
本気であせっていた。
が、
バスの中で仲良くなった旅人のスイス人、彼もたまたま同じ村に行くとこらしく、彼に便乗して同じコテージに泊まることにしたのだった。ほんとにホッだ
チェラティンという森の中の静かな村は、車で通って1、2分で終わるというめちゃくちゃ小さい場所
ココナツの木がたくさんあって、歩いてすぐ、目の前に広がるほぼ無人のキレイなビーチ
最高のロケーション田舎サイコー
村の人たちはみんなあたたかく、延泊決定だこのやろーう
スイス人の彼はここのコテージで以前働いてたこともあり、オーナーとは同じ大学だったらしい
必然とオーナーとも仲良くなり、
『Ikumi~このご飯食べてみろよーうまいぞ~』
と私の分まで毎回ご飯準備してくれて、今回の旅で食費はほんとにいらなかった
オーナーが車であちこち案内してくれたり、
隣街まで食材の買出しを手伝ったり、
ウミガメ見に行ったり、
オーナーの人柄で毎晩いろんな人が集まってきてのワイワイ乾杯に参加
出発の日、
オーナーの彼女がクアラ・ルンプールまでちょうど用事があるというので、2人で長距離バス乗った、
しかも彼女は私が迷わないようにと空港まで直行で行ける駅にまで送ってくれたんよ
なんなんだ今回の旅は
運が良かったのかなんかはよう分からん、しかしなんでこんなにいい人たちと出会えたんだなんじゃこりゃ
ほら、だからますます世界をまわってみたくなる。
もっと、もっといろんな人と国籍関係なく出会ってみたくなる。
旅をすればするほど、私は欲が増えていく。
とりあえずは、
さようならマレーシア、またねチェラティン、だ。
[2006年7月]
[マレーシア特集]がテレビであっていました
「いいね」
翌日、
航空券の値段を知るため電話をしたのに、なぜかそのまますぐチケットGET
その翌週には旅立っていました。笑
YES思いたったが吉日とはこういうことを言うのだ笑
バックパックに超少ない荷物を詰め込みそれ飛んでけ~っ
と、いうことで、
宿もなにも決めず、飛行機チケットとパスポートと少しのお金とバックパックでやって来ました、
マレーシアの首都・クアラルンプール
くあ~っビルだだめだ拒否反応が(←田舎娘)
夜が近づく前に宿探し開始
ダブルベッド1泊750円のバックパッカーズ
とりあえず良しとし、そこを拠点とし今後の作戦を練る(ちなみに750円は高いです)
世界中からの旅行者が集まっててさっそく情報交換
そこで仲良くなった宿オーナーと意気投合しご飯食べ行った
ご馳走してくれた初のマレーシア料理…だけど、ううむノーコメント…(写真撮り忘れた;)
翌日、
長距離バスセンターを探すが見あたらない…長いことうろうろしよったら
『どこいきたいのー?』と女の人。
シカトだ。ふんっ。騙されるもんかっ
『待って待って~』としつこい女の人。
数分後……なぜか意気投合しオトモダチになり(←なぜそうなるのw)
バスセンターまで連れて行ってもらい、
バスの時間までまだまだあったので、彼女の家に行き、
家族を紹介され(皆英語しゃべれた)
皆でランチ★おおっラッキー
スープも魚も美味い
ひょんなところからマレーシアの家庭料理を味わうことができました笑
悪い&危ない人ばっかりじゃあないんだ、と再度思った日でした。
何事も無く、バスセンターまで送ってもらい、いざマレーシア横断
3時間後バス故障さいならぽんこつバス
代わりのバス待ち1時間 ………
予定より3時間遅れで目的地の村(昨晩決めた)に着くことになってしまった、しかも夜中の11時
宿ももちろんまだ決めてない
夜道一人で宿探しできるか
いやいや危ない確立高いいくみピーーーンチ
本気であせっていた。
が、
バスの中で仲良くなった旅人のスイス人、彼もたまたま同じ村に行くとこらしく、彼に便乗して同じコテージに泊まることにしたのだった。ほんとにホッだ
チェラティンという森の中の静かな村は、車で通って1、2分で終わるというめちゃくちゃ小さい場所
ココナツの木がたくさんあって、歩いてすぐ、目の前に広がるほぼ無人のキレイなビーチ
最高のロケーション田舎サイコー
村の人たちはみんなあたたかく、延泊決定だこのやろーう
スイス人の彼はここのコテージで以前働いてたこともあり、オーナーとは同じ大学だったらしい
必然とオーナーとも仲良くなり、
『Ikumi~このご飯食べてみろよーうまいぞ~』
と私の分まで毎回ご飯準備してくれて、今回の旅で食費はほんとにいらなかった
オーナーが車であちこち案内してくれたり、
隣街まで食材の買出しを手伝ったり、
ウミガメ見に行ったり、
オーナーの人柄で毎晩いろんな人が集まってきてのワイワイ乾杯に参加
出発の日、
オーナーの彼女がクアラ・ルンプールまでちょうど用事があるというので、2人で長距離バス乗った、
しかも彼女は私が迷わないようにと空港まで直行で行ける駅にまで送ってくれたんよ
なんなんだ今回の旅は
運が良かったのかなんかはよう分からん、しかしなんでこんなにいい人たちと出会えたんだなんじゃこりゃ
ほら、だからますます世界をまわってみたくなる。
もっと、もっといろんな人と国籍関係なく出会ってみたくなる。
旅をすればするほど、私は欲が増えていく。
とりあえずは、
さようならマレーシア、またねチェラティン、だ。
[2006年7月]
金髪のトラさん、ホームステイの巻 [旅人@KARATSU]
[※過去の出来事を書いています]
とあるパーティーで親しくなったアメリカ人のトラさん(トラさんより写真提供)
私の地元である唐津に来て3日目で、知り合いもなく、唐津にはまだまだ滞在するよ~との事だったので、
いくみ専属のEnglish Teacherに任命しました笑
…しかし会えば会うほどカフェ代などでお金は減るので(英語環境の絶好のチャンスだが貯金中の私にはかなり痛い出費…)、
ある日、「ばあちゃんちでお茶しよう」と思い立って連れて行きました
それから、トラさん、193のばあちゃんちになんと約3ヶ月も居候
というのも……
あの日、目の前に金髪の外人が突如現れて、目が点になっていたじいちゃんとばあちゃん
忘れられない二人の驚き様といったら笑
数秒後、
『何ねこりゃぁぁーーおりゃ英語はしゃべれんどーー』と奇声をを発した顔めっちゃ真っ赤のじいちゃん
『今ちょうど食べ物は無かとよどやんすんね 』と平静を装うばあちゃん。
でもおびえてるのばれてるよ、ばあちゃんの瞳は嘘つかんよ!
日本語が少し大丈夫と知るとちょっとは安心して落ち着いてくれたけど、
それでも2人とも興奮のあまり赤面のまま
見ててほんと面白かった。
2人の超方言交じり(+年寄り語)の日本語を、
私がわかりやすい「日本語」へ通訳(!?)+英語というカタチで賑やかなお茶を楽しんだ
ホテル滞在、毎日5000円くらいの出費……そんなトラさんの話を聞いたばあちゃんは、少し考えた後、
『うちには使ってない部屋あるし、布団もお風呂もある。洗濯物は一緒に干すよ?ごはんは口に合わんやったら、すぐ近くにスーパーあるし、全然節約できるでしょ、あなた、ここにおいで』
と言っていた。
……て、え”?
陶芸を仕事とするトラさん
じいちゃんばあちゃんは陶芸(焼き物)大好き
陶芸を始める前、家具を作ったり木工をこよなく愛していたトラさん
じいちゃんは退職するまでの長い年月、製材所で働いていた
(今は趣味でいろいろ間単に作る)
すっかり意気投合し、すぐさまホテルまで彼の荷物を取りに行った事は言うまでもない……
トラさんが家にやってきて数日後、3人に会いに行って、一人ずつこっそり話を聞いてみた。
『もうねー楽しかよ~いくみ!!生まれて初めて外国人と接したけど、ここまで楽しいとはね、思ってなかったよ。
日本語が理解できるように、ゆっくりと何回も話してあげよったらね、1日の時間のあっという間に過ぎると』
と興奮気味に話すばあちゃん。
昨日は2人で電車で福岡行ったらしい。凄いよそのばあちゃんの度胸
『母さんが晩飯作りよらす時、おりゃぁ一緒に野球ば見てさーー2人でヤーヤー応援しよった』
と、じいちゃん。
言葉は通じにくいけど、スポーツはいとも簡単に感情で通じ合えるんだよね、よかったねじいちゃん
『とにかく居心地がいいよ!何から何までしてもらって、頭があがらないよ!
おばあさんとおじいさんと話すのも楽しいよ、いくみの赤ちゃんの頃からの写真見せてもらったり、2人のお見合い結婚の話や、昔日本がどんな風だったかとか、興味あることばっかりじっくり教えてくれるんだ、こんないい環境と待遇をどうもありがとう!』
と、トラさん
いいえ、こちらこそありがとう。
ばあちゃんじいちゃんのふたりの生活に、とんでもない刺激の毎日をプレゼントしてくれて!
ばあちゃんがこう言った。
『いくみがさ、ニュージーランドでいろーんな人にお世話になったやろ?(私は高校卒業後約1年間NZにいた)
その恩返しをするのが今、きたんじゃないかなぁと思ってね。
あんたの母親じゃないけど、私の大事な孫ですから。
あんたがトラさんにニュージーランドでお世話になったわけじゃないけど、私が恩返しをしようじゃないの』
約4年前、突如姿を現した金髪のトラさん
3ヵ月後、彼はじいちゃんばあちゃんちを旅に出ると言い、出発。
途中知り合った日本人女性と交際を得て結婚し、子供にも恵まれ、日本のとある場所で幸せに暮らしています
早くに両親を亡くしていた彼は言う。
『おれのセカンド故郷は、いくみのおばあさんおじいさんちだ。』
[2006年3月]
とあるパーティーで親しくなったアメリカ人のトラさん(トラさんより写真提供)
私の地元である唐津に来て3日目で、知り合いもなく、唐津にはまだまだ滞在するよ~との事だったので、
いくみ専属のEnglish Teacherに任命しました笑
…しかし会えば会うほどカフェ代などでお金は減るので(英語環境の絶好のチャンスだが貯金中の私にはかなり痛い出費…)、
ある日、「ばあちゃんちでお茶しよう」と思い立って連れて行きました
それから、トラさん、193のばあちゃんちになんと約3ヶ月も居候
というのも……
あの日、目の前に金髪の外人が突如現れて、目が点になっていたじいちゃんとばあちゃん
忘れられない二人の驚き様といったら笑
数秒後、
『何ねこりゃぁぁーーおりゃ英語はしゃべれんどーー』と奇声をを発した顔めっちゃ真っ赤のじいちゃん
『今ちょうど食べ物は無かとよどやんすんね 』と平静を装うばあちゃん。
でもおびえてるのばれてるよ、ばあちゃんの瞳は嘘つかんよ!
日本語が少し大丈夫と知るとちょっとは安心して落ち着いてくれたけど、
それでも2人とも興奮のあまり赤面のまま
見ててほんと面白かった。
2人の超方言交じり(+年寄り語)の日本語を、
私がわかりやすい「日本語」へ通訳(!?)+英語というカタチで賑やかなお茶を楽しんだ
ホテル滞在、毎日5000円くらいの出費……そんなトラさんの話を聞いたばあちゃんは、少し考えた後、
『うちには使ってない部屋あるし、布団もお風呂もある。洗濯物は一緒に干すよ?ごはんは口に合わんやったら、すぐ近くにスーパーあるし、全然節約できるでしょ、あなた、ここにおいで』
と言っていた。
……て、え”?
陶芸を仕事とするトラさん
じいちゃんばあちゃんは陶芸(焼き物)大好き
陶芸を始める前、家具を作ったり木工をこよなく愛していたトラさん
じいちゃんは退職するまでの長い年月、製材所で働いていた
(今は趣味でいろいろ間単に作る)
すっかり意気投合し、すぐさまホテルまで彼の荷物を取りに行った事は言うまでもない……
トラさんが家にやってきて数日後、3人に会いに行って、一人ずつこっそり話を聞いてみた。
『もうねー楽しかよ~いくみ!!生まれて初めて外国人と接したけど、ここまで楽しいとはね、思ってなかったよ。
日本語が理解できるように、ゆっくりと何回も話してあげよったらね、1日の時間のあっという間に過ぎると』
と興奮気味に話すばあちゃん。
昨日は2人で電車で福岡行ったらしい。凄いよそのばあちゃんの度胸
『母さんが晩飯作りよらす時、おりゃぁ一緒に野球ば見てさーー2人でヤーヤー応援しよった』
と、じいちゃん。
言葉は通じにくいけど、スポーツはいとも簡単に感情で通じ合えるんだよね、よかったねじいちゃん
『とにかく居心地がいいよ!何から何までしてもらって、頭があがらないよ!
おばあさんとおじいさんと話すのも楽しいよ、いくみの赤ちゃんの頃からの写真見せてもらったり、2人のお見合い結婚の話や、昔日本がどんな風だったかとか、興味あることばっかりじっくり教えてくれるんだ、こんないい環境と待遇をどうもありがとう!』
と、トラさん
いいえ、こちらこそありがとう。
ばあちゃんじいちゃんのふたりの生活に、とんでもない刺激の毎日をプレゼントしてくれて!
ばあちゃんがこう言った。
『いくみがさ、ニュージーランドでいろーんな人にお世話になったやろ?(私は高校卒業後約1年間NZにいた)
その恩返しをするのが今、きたんじゃないかなぁと思ってね。
あんたの母親じゃないけど、私の大事な孫ですから。
あんたがトラさんにニュージーランドでお世話になったわけじゃないけど、私が恩返しをしようじゃないの』
約4年前、突如姿を現した金髪のトラさん
3ヵ月後、彼はじいちゃんばあちゃんちを旅に出ると言い、出発。
途中知り合った日本人女性と交際を得て結婚し、子供にも恵まれ、日本のとある場所で幸せに暮らしています
早くに両親を亡くしていた彼は言う。
『おれのセカンド故郷は、いくみのおばあさんおじいさんちだ。』
[2006年3月]
チョロロ旅~島でキャンプ編~ [原付ひとり旅]
本日の走行距離:119km
私の相棒ネルソンさん(原付)とふたり旅
靴下を切っただけの手袋をはめ、しゅっぱーつ
行き先も決めず、
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な、
で道進んで
途中見つけた鍾乳洞に入りひとりではしゃぎ、
橋をいくつか渡りたどり着いたのは
長崎県の大島
島へやって来ました
島をぐるぐる周り、
「おらの今夜の寝床ー」
と探し周りよったら山の上によかとこ発見
誰もいない静かなとこにポツンとテントを張り、ずっと夕日を眺めていました。
ネルソンさんのシート下には、常にテントと寝袋とエママットを搭載しています。
いつでもどこでもお泊りに困らないために。
ひとりも決してさびしくはない。
めずらしく缶のチューハイ2本も飲めた私でした。
来年、私は長い長い旅にネルソンさんと出発する。
大きいバイクに乗って旅してる人は多く、でかくてスピードも出て、なによりかっこいいし気持ちよさそうては思うけど、
原付の時速30キロというスピードは、私にとって魅力的である。
ゆっく流れていく景色は格別である。
50ccカブで旅している人はけっこういるけど、
このスクーターがいい。
シートのゆったり感。
乗り心地の良さ。
彼は、来年、私と一緒に無期限の放浪の旅に出る。
日本中を駆け巡るのだ。
私が生まれた国、日本を『知る』ために
夢のために
私にとって、旅は人生の表現である。
私の相棒ネルソンさん(原付)とふたり旅
靴下を切っただけの手袋をはめ、しゅっぱーつ
行き先も決めず、
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な、
で道進んで
途中見つけた鍾乳洞に入りひとりではしゃぎ、
橋をいくつか渡りたどり着いたのは
長崎県の大島
島へやって来ました
島をぐるぐる周り、
「おらの今夜の寝床ー」
と探し周りよったら山の上によかとこ発見
誰もいない静かなとこにポツンとテントを張り、ずっと夕日を眺めていました。
ネルソンさんのシート下には、常にテントと寝袋とエママットを搭載しています。
いつでもどこでもお泊りに困らないために。
ひとりも決してさびしくはない。
めずらしく缶のチューハイ2本も飲めた私でした。
来年、私は長い長い旅にネルソンさんと出発する。
大きいバイクに乗って旅してる人は多く、でかくてスピードも出て、なによりかっこいいし気持ちよさそうては思うけど、
原付の時速30キロというスピードは、私にとって魅力的である。
ゆっく流れていく景色は格別である。
50ccカブで旅している人はけっこういるけど、
このスクーターがいい。
シートのゆったり感。
乗り心地の良さ。
彼は、来年、私と一緒に無期限の放浪の旅に出る。
日本中を駆け巡るのだ。
私が生まれた国、日本を『知る』ために
夢のために
私にとって、旅は人生の表現である。
【農場のグラタン】 [ニュージーランド]
私は、約5年前(いくみ18歳)に半年もの間、とんでもない広大な敷地の農場で働いて生活してました
ほぼ自給自足でした
育てた野菜を食べ、家畜を食し、新鮮な牛乳を頂く。
時には、ボートを漕いで海に出て、仕掛け網で魚を獲っていました。
魚……
魚と言っても、2種類しか網にかかったことがないのはどうしてだったんだろう……
どんな調理方でも全く美味しくない【ブルーモキ】という魚が3割
(絵・いくみ)
そしてあとの7割が
【鮫】 w
ブルーモキと鮫
鮫。そう鮫です。サメ。
農場主(↑一番上の写真の裸の男性)から『網にかかった魚は必ず調理して食べろ』と言われていたので……
抵抗があるが無味無臭のサメ
いろいろ調理法を試した結果、唯一美味しく食べれたのは
鮫グラタン
私はその頃ホワイトソース作りに凝っていたので
サメをぶち込んでオーブンで焼き上げることにしたのです
捌け~ぇぇぇぇ
↓見た目は白身魚だ
↓これを玉葱と一口サイズにしたサメを一緒に耐熱皿に入れ、ソース流し込んでチーズかけてオーブン焼きすると……
あらん、美味しそうやんけ
あの頃
私の得意料理のひとつは、
『鮫グラタン』
だったのでした
ぜひこちらのブログものぞきにいらっしゃいませ
いくみの原付で西日本ぐるっ旅
⇒【http://ikussis.blog.so-net.ne.jp/】
ほぼ自給自足でした
育てた野菜を食べ、家畜を食し、新鮮な牛乳を頂く。
時には、ボートを漕いで海に出て、仕掛け網で魚を獲っていました。
魚……
魚と言っても、2種類しか網にかかったことがないのはどうしてだったんだろう……
どんな調理方でも全く美味しくない【ブルーモキ】という魚が3割
(絵・いくみ)
そしてあとの7割が
【鮫】 w
ブルーモキと鮫
鮫。そう鮫です。サメ。
農場主(↑一番上の写真の裸の男性)から『網にかかった魚は必ず調理して食べろ』と言われていたので……
抵抗があるが無味無臭のサメ
いろいろ調理法を試した結果、唯一美味しく食べれたのは
鮫グラタン
私はその頃ホワイトソース作りに凝っていたので
サメをぶち込んでオーブンで焼き上げることにしたのです
捌け~ぇぇぇぇ
↓見た目は白身魚だ
↓これを玉葱と一口サイズにしたサメを一緒に耐熱皿に入れ、ソース流し込んでチーズかけてオーブン焼きすると……
あらん、美味しそうやんけ
あの頃
私の得意料理のひとつは、
『鮫グラタン』
だったのでした
ぜひこちらのブログものぞきにいらっしゃいませ
いくみの原付で西日本ぐるっ旅
⇒【http://ikussis.blog.so-net.ne.jp/】
■旅の始まり■ [■旅の始まり■]
久々に、アルバムを引っ張りだしてみた。
これは私が小学校6年生の時の写真…懐かしいな
中学生になったら全員部活制やけん家族旅行ができなくなるから、と
お父さんが私に最高の“旅”をプレゼントしてくれた時の1枚。
いいところに泊まる、とか、ちょっといいとこでゴハンとかじゃなくて、
生まれて初めてのバックパック背負っての『歩く旅』だった。
親子ふたり、バックパッカーになった
これが、私の旅の始まりなんだ、実は
先日、流れで、今のバイトをいつ頃辞めたいのか伝えてしまった。
(もうひとつのブログで更新中の『所持金5万!原付で35日間の西日本旅』(http://ikussis.blog.so-net.ne.jp/)の間、私はバイトを休ませてもらっていました。
今また戻って働いています。
有難いことに私のことをよく理解して下さってる方で「旅するためにバイトしよるっちゃろ?行っておいで^^」と快く送り出して下さってたんです。)
調べ物や、自分の身の回り品の片付けから既に次に向けて動いてたけど、
バイト先に言うのはまだいいかな、とは思ってた。
ああ……言ってしまった…。
これで何回目だろう、「やめさせてください」とバイト先に言うのは。
(バイト歴…20数職…)
旅に出るのに決まった理由はないと思う。
子どもみたいに、興味もったことをとにかく始めてみることだと思う。
好奇心のかたまりが旅になる。
それが私。
私の原動力は物事への欲求から始まる。
知りたい!見たい!行きたい!やってみたい!
そうなれば、
すぐ調べるし、
見に行くし、
行くし、
やってみる。
今すぐできない事やったとしても、とにかく調べまくってノートにまとめてる。
自分で調べたことを、自分のものにする。
大事なのは、思ったことを行動に移すことだと思う。
自分に素直に正直に熱く生きていこう。と決めた時から、
“本当の意味でかっこいい女になる”
と思うようになった。
人間的に魅力のある人になれるように。。。
一日一日を精一杯に生きよう。
今日一日を一所懸命に生きよう。
これは私が小学校6年生の時の写真…懐かしいな
中学生になったら全員部活制やけん家族旅行ができなくなるから、と
お父さんが私に最高の“旅”をプレゼントしてくれた時の1枚。
いいところに泊まる、とか、ちょっといいとこでゴハンとかじゃなくて、
生まれて初めてのバックパック背負っての『歩く旅』だった。
親子ふたり、バックパッカーになった
これが、私の旅の始まりなんだ、実は
先日、流れで、今のバイトをいつ頃辞めたいのか伝えてしまった。
(もうひとつのブログで更新中の『所持金5万!原付で35日間の西日本旅』(http://ikussis.blog.so-net.ne.jp/)の間、私はバイトを休ませてもらっていました。
今また戻って働いています。
有難いことに私のことをよく理解して下さってる方で「旅するためにバイトしよるっちゃろ?行っておいで^^」と快く送り出して下さってたんです。)
調べ物や、自分の身の回り品の片付けから既に次に向けて動いてたけど、
バイト先に言うのはまだいいかな、とは思ってた。
ああ……言ってしまった…。
これで何回目だろう、「やめさせてください」とバイト先に言うのは。
(バイト歴…20数職…)
旅に出るのに決まった理由はないと思う。
子どもみたいに、興味もったことをとにかく始めてみることだと思う。
好奇心のかたまりが旅になる。
それが私。
私の原動力は物事への欲求から始まる。
知りたい!見たい!行きたい!やってみたい!
そうなれば、
すぐ調べるし、
見に行くし、
行くし、
やってみる。
今すぐできない事やったとしても、とにかく調べまくってノートにまとめてる。
自分で調べたことを、自分のものにする。
大事なのは、思ったことを行動に移すことだと思う。
自分に素直に正直に熱く生きていこう。と決めた時から、
“本当の意味でかっこいい女になる”
と思うようになった。
人間的に魅力のある人になれるように。。。
一日一日を精一杯に生きよう。
今日一日を一所懸命に生きよう。
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